戦い済んで日が暮れて ⑧

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借金のあて

ワークホリッカーと呼ばれたこともあります。
確かに、仕事ばかりの毎日でした。基本的に仕事が好きなのだと思います。
何もしないでいると、時間が無為に過ぎて行ってしまうようで落ち着きません。
社長を退任した後1年ぐらい、何も手が付かなかった時がありました。
何にも興味がわかなくなってしまいました。

父を失った喪失感・・・今となってはそれが一番大きかったのかもしれません。

父とよくドライブをしました。
近所のスーパーにも父はよく付いてきました。

「孝行したいときに親は無し。だから今、親孝行をしてくれ・・・」と言っては、紙パックの安い酒を、買い物かごに入れてしまうのです。
別に腹が立つわけではありませんが、私の父はいつもこんな調子なのです。

駅の切符売場でも「今、こまかい金がないから払っておいてくれないか?」
あとから、催促すると「このうちにあるものはみんなお前にあげるよ。ゴミだって、ゴキブリだってみんなお前のものだ・・・」
立て替えたお金を返す気など毛頭ないのですから、喧嘩にもなりません。

そんな父とつまらないことで喧嘩になり、口をきかないまま、二度と会えなくなってしまいました。

そもそも、弊社が40年を迎えるまでに、いったいどのくらい父の金銭的援助を受けたことでしょうか。

設立から、2年も3年も満足にたべられない日々でした。
定期的に受け取れる給料が、どんなに有り難いものなのか、OL時代が懐かしくて、しかたありませんでした。

経営の基礎固めとなった横浜そごうへの出店は、父の援助がなければ何一つはじまりませんでした。
大宮そごう、多摩そごうと新しく出店するたびに、また、資金繰りが苦しかった時も、お金の無心は父にしかできませんでした。

「金を貸してくれ!」
資金が足りなかったとき、どんなに親しい人にもそれは言えませんでした。言ってはいけないことでした。

そうです。小遣が足りなくて、母に前借をすることはあっても、会社の運転資金が足りないとき、兄弟もしかり、どんなに親しい友人でも頼める先ではないのです。

もしそれをしたら、一生頭が上がらなくなるでしょう。
何を差し置いても、その人に尽し、何事も最優先しなければならなくなります。
私に何も求めない! そんな人が親以外にいるのでしょうか。
私にはありませんでした。

会社の借入金は銀行でするものです。
しかし、会社を作って間もない頃、30そこそこの独身女を相手にしてくれる銀行はありませんでした。
「あなたに公務員のご主人がいたら・・・」なんてことを、面と向かって平気で言う銀行でしたから。

「俺が生きているうちに返してくれな・・」そんなことばかり言っていた父に、私は返済する気がなかったわけではないのですが、それはずーっと先でよいと思っていました。
そして、返済しないまま、父は死んでしまいました。

相照らす

人生の半分以上を費やした仕事に何が残っているのだろうか・・・
長い間、私は共に戦い、夢に向かう仲間を内外に持てませんでした。
意気に感じ、心から惚れこんだ人たちはもう遠くへ行っています。
未来を真っ向から語りあえる同志にも、まだ出会うことができません。

時々思うのです。感性が合う人とは、つまらないところも波長が合うと。
例えば、ごみの捨て方とか、書類や物の保管の仕方とか、買い物の仕方、お金の使い方まで似ています。
それがお互いの「任せて大丈夫」という信頼感に通じているのではないでしょうか。
これは年齢にはあまり関係はありません。
この先奇跡が起きて、再び語りあえる相手が登場するでしょうか。
1%の希望を託して、毎日を過ごすことにいたしましょう。

ハンドメイド

そもそも、何故、私が最も不得手なこの分野に入り込んでしまったのでしょうか。

ミシンの糸のかけ方も知らない、雑巾すら縫えない私でしたが、育った家庭は手作りであふれていました。娘が言うのも口幅ったいのですが、母は刺繍でも、洋裁でも、編み物でも、和裁でもなんでも素人離れしていて本当に上手でした。
母が女学校の卒業制作で作った日本刺繍のテーブル掛けは、今でも大切な来客があるときだけ使用します。

姉もその血をひいたのか、この分野は何をやっても器用で上手です。
私は、幼い時から二人を見ていましたから、いわゆる「目習い」で、知識だけはありました。
そんな私が、手芸をベースにした会社を経営することに抵抗なく入り込むことができたのは、日常そのものに手作りが溢れていたからかもしれません。

大手百貨店で、著名な作家展を開催した時、会場の隅っこで、生徒や弟子たちが自分の習作を販売している様子をはじめて見た時、手芸なるものが、教える以外に商売になると確信しました。

あれから40年。
ハンドメイドの販売事業は、大きく成長し、すそ野も広がったように見えますが、本質は全く変わっておらず、むしろ退化しているように見えます。

私が会社を作った当時、特別な才能がない限り、女性には少々窮屈な時代でした。
自分で作ったものが販売できる。稼げる・・・おかれた環境に閉塞感を持っていた私には画期的な幕開けでした。

あの当時からすれば、市民権も得て皆、堂々としています。
けれど、手作りを楽しむ余裕がなくなったようにも感じます。

代わりに営利目的になりすぎた、ハンドメイド。
そして、その割にプロ意識が育たなかった作り手たち。

既存の商品では飽き足りないから、モノづくりを始めたという、根本的な動機。
それこそ物を作る人のアイデアの根源だと考えます。
自分の、家族の不便を解消する、その家庭だけに存在する物品。これこそオリジナルで、ハンドメイド販売の原点はここにあったはずです。

私たちは何を目指して、活動しているのでしょうか。
ただ、同じものを作って販売するだけなら、内職仕事と同じではないでしょうか。

ハンドメイドは素材の調達から、製造、販売、商品管理と、すべて自分の中で完結できます。
つまり、すべてに目が届き、すべてに責任が取れる。ということです。

だからこそ、大量消費が終わったこれからが、本格的なハンドメイド事業のスタートなのです。

こと半ば

私が想像していたようにはならなかったハンドメイド。
なぜなのでしょうか。
それは、ハンドメイドをより高みに引き上げる強力なリーダーシップが存在しなかったからではないでしょうか。

40年たった今でも「個」は「個」のままです。
弊社は40年たった今でも零細企業のままです。むしろ零細家業のほうが適正かもしれません。
リアルな販売ステージを運営している会社に大手がないのも残念です。
勿論、大手の参入によってWEB上でのハンドメイドの世界は広がりましたが、この世界をどこに導こうとしているかは不透明でした。

「個」を捨て、団結できなければ、ハンドメイドはいつしか消滅してしまうのではないかという危機感を持っています。
これからの弊社の仕事は、これに尽きると考えています。

生涯現役は、社会に出てから徐々に考えるようになりました。
私は不器用なため、無理をしないと結果を出せないほうですが、これからは社員とともに新しい目標に向かって、進む意欲満々です。
ですから、もう少しハンドメイドの社会で働きたいと思っています。

一人五役

私はこの40年、多くの女性たちと仕事をしてまいりました。
以前と違って、あらゆる分野に進出し、収入を得ることができるようになりましたが、意思決定の場に携わり、相応の責任を持つまでの管理職は、諸外国に比べると少ないと聞いております。

ハンドメイドにはこれがすべて含まれています。
「世界で一番小さい企業のオーナー」の自覚をもって働き方を考えてみませんか。
優秀な女性が輩出し、社会をよりよい環境に持ってゆけるのは、もしかしたら女性のほうが向いているかもしれないと思うこともあります。

皆様方もぜひ未来の自分象を想像し、新しいチャレンジをしてほしいと思っています。

昔むかし、多くの諸先輩を前に、生意気にもこんな話をしたことがあります。
① 皆さんはセンスあるデザイナーです
② 皆さんは腕の良いメーカーです
③ 皆さんは優秀な販売員です
④ 皆さんは有能な経理マンです
⑤ 皆さんはモラルある経営者です。

振り返って、まさに仕事漬けの毎日でした。
書いているうちに、ややもすれば感情的になってしまうこともあるのですが、それを抑え、
感じたまま、受け取ったままを誇張せず、印しておきたいと思いました。

もう一つ、長い履歴がありながら、ついに上達しなかったものがあります。
それはゴルフです。歴は30余年もありますが、腕前は、弊社の業績よりふるいません。
ゴルフ場は、海の無いトライアスロンのようなものでしたが、社員とのゴルフは身も心も解放される時間で、実力に差がないのがせめてもの慰めです。

代表取締役会長
青木 みな子

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