活路を模索して 手作りの倉 ⑦

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ぬるま湯の中で

よくないなぁ・・・思いながらも動けずにいました。
どこか一部が悪いわけではなく、全体が良くないのです。
さりとて、現状はどこも変わりません。
水甕に小さなひびが入っていて、少しづつ、中の水が染み出ていくような感じです。

ぬるま湯は危険です。
ぬるま湯の中にいると、すこしずつ冷めているのに気が付かない。
しかし動くと寒い。だから益々動かないでいます。そのうちに凍えて死んでしまう。
弊社がおかれていた環境は、このようなものでした。

すでに私は、業務を二人の男性社員に任せ、営業や現場に出かけることは、めっきり減っていました。
年齢もあったのでしょうか、何事もおっくうでした。

手を打たねばならないと思いながら何年もすごし、そのうち考えなくなりました。

先行き不透明などとは、体のいい言い訳で、トップのほとんどは見えているはずです。
ハンドメイドは無くならないまでも、今までとは形が違ってしまうであろうと。

テナントとして

平成18年、そごう千葉店9階に「趣味の街」が誕生しました。
これはそごう心斎橋店での成功例を関東でもはじめたものでした。

趣のある一見良い街づくりでしたが、客の存在を考えない、ビジュアル先行のつくりでした。
野田の醤油蔵を再現し、薄暗い中に、生地、毛糸、皮革等、材料店や、アンティークショップ、着物屋など、8坪ほどの小さな店が40数店軒を並べる街づくりでした。

販売什器はアンティークに揃え、街の雰囲気を壊さないよう・・・が百貨店の要望です。

弊社もここに、週単位で商品が異なるスイングショップとして出店します。

どんな時でも、新規開店の準備は楽しく、ウキウキします。
開店初日の高揚感と不安感。
私はいつも一番最初に商品を買うようにしています。「片眼を開ける・・・」というそうです。縁起担ぎです。
それを皮切りに、初日は次から次へとお客様が入り、大いに満足しました。
それから数年間は、本当に素晴らしい結果を残してくれました。

毎日売り上げが立つ。
日銭が入る。
これはハンドメイドの販売事業(イベント)だけになってしまった弊社にとって、本当にありがたい8坪でした。

売り上げ仕入れ

どの百貨店もそうでしたが、大規模なハンドメイド販売は、縮小の一方でした。
先行き不透明な不安感。

この頃です。
「手作りの倉」の成功を見て、自前の店舗を持つことを模索していました。
近づいてくる危機に落ち込む前に、手を打たねばならないと考えていました。

平成20年 京王沿線の聖蹟桜ヶ丘駅の高架下に「さくら」というショップを出します。
2店舗目の自前のショップです。

1店舗目は創業のころ、昭和58年に横浜 桜木町にM地所が管理する商業ビル、「ピオシティ」の3階に「ポニー」というパッチワークショップでした。
「ゴールデンセンター」と言ったほうが解りやすいかもしれません。

今でこそ、桜木町駅周辺は、再開発で素敵な街に代わりましたが、当時はうらびれた所でした。
M地所がどんなに頑張っても、来館する人はいませんでした。

店を出したのは良いのですが、売り上げは、ほぼ毎日ZERO。
そんな日ばかりでしたが、ここが、40年に至るまでの弊社のスタート地点です。

そもそも、このショップは、文房具メーカーの子会社Hの代替え出店でした。
この企業が、近場に同時期、2店舗を出店する予定を変更し、残った1店舗の話が弊社に振られたのです。
もちろんお金はありませんでしたから、商品は委託、売上仕入が条件です。

売り上げ「0」ですから、仕入れ支払いはありませんが、人件費は派生します。
月末毎に、人件費が出てゆくのですから、苦しさは半端ではありません。
パートさんに支払ったら、私の給料どころか、マイナスでした。

そこに、横浜そごうの出店の話がH社からまいこんできたのです。
ありがたい話でしたが、今思えば、委託で預けた商品の回収のため、弊社を抱き合わせにしたのではないかと思っています。

けれど、横浜そごうには、意中の会社があったようで、とても嫌がったそうです。
しかし、弊社を出展させないなら、H社も出店しない!!と強く迫り、仕方なく弊社の出店を認めざるを得なかったようです。

後に、私は横浜そごうの部長から「お宅を入れる気はなかった」と、はっきり、冷たく、吐き捨てるように言われました。

弊社がどんなに努力しても評価されなかったのは、最初から、気に入らない取引先だったからとしか考えられません。
そして、これこそ、横浜そごうの担当部署の共通した感情だったようにおもいます。

人事異動で来られた新係長に、こういわれたことがあります。
「お宅はダメだ!だめだ!と言われているけど、案外やってるんだね・・・」

長くなりましたが、1店舗目はM地所という大企業だっただけに、実に血の通った余裕のある経営でした。

主導権の移転

あれから25年。
「さくら」は京王電鉄 聖蹟桜ヶ丘駅の構内で、かなりいける!!
確信の一手です。

京王百貨店 桜ケ丘店の隣り合わせ。
むしろ地上階(1階)にある分、条件的にはかなり良い結果を生むのではないかと、期待の大きい出店でした。

平成21年 松坂屋上野店のギャラリー展開を始めます。

平成22年には高島屋大宮店に「NEWS」を出店します。

京王八王子SC 4階。
この頃、まるで取りつかれたかのように、次々とショップを展開してゆきます。

どの店舗も、1週間単位で作家、すなわち商品を入れ替える、スィングショップでした。
そしていずれも短期間で撤退しています。

従来の大きな催事場を使ってのイベントと、小さなショップとは、一見、規模が小さくなっただけで見た目は変わらないのですが、運営上大きな違いがありました。

大規模イベントは、一般公募で多くの人を集め、出店期間を含め運営権のすべては、弊社にありますが、ここでは2~3人の作家の都合を聞きかなければ成立しません。

つまり、イベントの主導権が出店者に移行してしまったということです。
となると、季節感、店舗内のアイテム構成など思い通りにはゆかなくなります。
案の定そうなりました。

無理を承知で頼み込めば、出店者の言いなりにならねばならず、それは会社を窮屈にさせるだけでした。
失敗続きです。
それに費やす労力や経費。
何より気持ちの落ち込みに、眠れない日が続いていました。

高い購買力を持った顧客層・・・百貨店のありがたさを痛切に感じたのも、この頃です。
「寄らば大樹」 けっして安住の地ではないとわかっていながら、もがく元気もなくなって、小さく静かになってゆく自分自身を感じていました。

現場から離れてしまうと、もっと問題点は見えなくなります。
工場で生産される商品と違って、人によって、地域によって微妙に変わってくる作品の変化に気が付かなくなるのです。

代表取締役会長
青木 みな子

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