文化催事から売上催事に
弊社は、横浜そごうにコットンショップを出店してから、そごうグループの躍進に伴い、仕事の領域を広めてゆきました。
ところが、平成12年、そごうが倒産します。
翌年、グループは西武百貨店の傘下に入り、弊社も新たな問題に直面してゆきます。
ハンドメイドも今までにない厳しい状況におかれ、存続できない危機感を持ちました。
適切な表現ではありませんが、それまでは作家にも、私にも「お遊び感覚」がなかったとは言えない、甘えた状態が続いていたように思います。
地域の文化催事としてスタートした、ハンドメイドの販売イベントは、社会の大きな変化の中で、地域限定の特別な作品ではなくなり、市場に流通する商品としてみなされてゆくのです。
のんきにも私は、文化祭の実行委員のごとく、売り上げが伸び、トラブルなくイベントが終わることのみに集中していました。
私と出展者間のトラブルは相変わらずで、解消することはありませんでした。
自分が作ったハンドメイドの商品は、作り手自身であり、これに少しでも注文を付けようならば、あたかも自分が誹謗されたかのように激しく怒るのです。
私はこの軋轢を解消するために精魂使い果たし、肝心の商品に注力していませんでした。
トラブルを避けたいがために、商品の可否に目をつぶることが多かったようにおもいます。
消費者に安全で安心できる商品をお届けする。これが、社会に流通できる商品の最低な条件です。
これを満たせなければ、欠陥商品なのです。
法律の適用
家庭用品品質表示法が適用されました。
これは誰が作ったか、組成は何か、洗濯の表示はあるか等々、消費者の不利益をなくそうとする法律です。
ハンドメイドが、芸術品や、美術品とは思ってはいませんでしたが、改めて家庭用品、つまり実用品なのだという認識をしました。
この時期「素人の作品」なんて曖昧なものが販売されるなんて許される環境、雰囲気ではありませんでした。
製造物責任者法(PL法)が施行されました。
作られたものの欠陥によって、購入者の被った不利益は、作ったものが賠償責任を負うというものです。
ハンドメイドは大量生産ではありませんが、この法律の対象になりました。
確かに危なっかしいものありました。
染めた衣料品が、汗で他に染みてしまった。
コーヒーカップを買ったら、底からコーヒーがにじみ出る。
お皿を買ったら、指紋がいっぱい焼き付いていて気持ちが悪い。
危険だったのは、衣料品に待ち針が混入していたことです。
直ぐに、繊維製品を作っている方々全員に検針器を購入していただきましたが、PL法にも加入していただけるよう説得しました。
今になって、大事故になることもなく過ぎこせたことに感謝すると同時に、素人が作ったものが、一人前の顔をして、市中に出回ることの恐ろしさを心底感じています。
欠陥は弊社か商品か
そごうから西部へと経営者が変わったのですから、経営方針も当然変わったのでしょうが、変化して行く先、どこを目指しているかが、全く説明されることはありませんでした。
そもそも担当者から、資料が送られてくるだけで、話をすることさえありませんでした。
長い間そごうの人情的な社風の中で、守られて来た私は、いきなりの強風の中で、あっちに、こっちに吹っ飛ばされていました。
ハンドメイドとそれを生業としている弊社は、欠陥品の烙印を押されたように感じていました。
「取り締まられている」という怖さ。
「手作りがつぶされる」という危機感。
なかでも西部百貨店の新しいバイヤーとの折り合いが悪く、手作り商品に対する嫌悪や批判は、私個人に向けられていたものと確信しています。
理由は分かりません。
ただ、言われたことははっきり覚えています。
「お宅には独占させない」
それは「おまえにはやらせない」に等しいその後の彼の言動でした。
取り締まり!!
催事の初日です。開店と同時に入店した、西部百貨店のその担当バイヤーは、会場を一巡すると、組成表示や洗濯表示が付いていないものを、強制的に引っ込めるよう命令します。
あの時の現場の空気は恐怖に支配されていました。
販売不可とされた出展者の引きつった顔は、私の顔でもあったと思います。
言い訳になりますが、1年に2回、日数にして2週間ぐらいしか交流のない人達に、切迫した状況をリアルに伝えることはできませんでした。
多くの方が家庭の主婦ですから、何度文書で通達しても、届くわけありません。
その批判や叱責はすべて、私の上に落ちてくるのは当然です。
そんな物理的なことはいずれ解消できますが、辛かったのは、ハンドメイドに対する容赦ない批判でした。
品が悪い。
どこの、だれが、どんなところで作ったものか、わからないものなど、百貨店で売ること自体が問題だ。
インチキだ。(値段設定)
間違いが起きた時、誰が責任を負うのだ。お前に負えるのか!
こんな商品を持ち込んでいる弊社は、百貨店で営業する資格がない。
あぁ 受難!! 私はキリストでもないのに・・・
作家をののしっているのか、目の前の私をののしっているのか、わかりません。
もし商品がそれほど危ないと思うなら、命令一過、全店中止すれば一挙に解決します。
それもせず、ただただ怒りをぶつけられているように感じていました。
実際すごいこともありました。
心斎橋本店で、ハンドメイドの販売イベントの初日の朝8時。
私の携帯電話に、東京の本部のバイヤーから連絡が入りました。
「おたくに、本店をやる資格などない。すぐやめてくれ」
当日の朝ですよ。
仕込みは前日にすべて終わっています。
いじめみたいなものです。
時代劇の「悪代官」。
なんだか可笑しさがこみ上げ、かえって腹が座りました。
この「おたく」は、弊社ではなく「私」を指しているのでしょう。
大の男が、取るに足らないとバカにしている私に向かって、あれほどまでヒステリックになるのか、何が原因で、そこまで怒らせてしまったか答えがありません。
ただ、私は不思議に思うこと、納得しがたいことはストレートに発言します。
それが遠因だとしたら、零細企業に発言は許されないということなのでしょうか。
とにかく、ハンドメイド販売の大きな流れは、急速に収束してゆきます。
代表取締役会長
青木 みな子