進め!進め! ③

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忠誠心

そごう大宮店の「趣味の手作り展示・即売会」略して、「手作り展」も平成10年頃には、売り上げも、出展者の実力も充実してきました。

近くにライバル百貨店の同様イベントもあり、「カスばかりの集まり」・・・という陰口もありましたが、参加する主婦達も多くなり、私は自信を深めてゆきます。

もちろん順風満帆とはいかないまでも、百貨店の協力もあって一つ一つクリアできました。
中でも弊社に対する誹謗中傷を退け、素早く解決してくださったことに感激しました。

問題のきっかけは、使用する什器を、極力私が不可としたことが原因です。
前にも書きましたが、不平不満が充満している時、その解決法は、言いなりになるか、力でなぎ倒すかどちらかです。
私は長刀を手にしたのです。

販売に必要な什器は、各自申告制です。その中の一つ、フェンスが要る、要らないでかなり険悪になっていました。
フェンスは文字通り衝立です。縦横1.8Mの金属性の什器です。

100名を超える作家が、すべてこれを要求します。
想像してみてください。150坪の敷地に150本以上の金属の衝立が立つのです。

「象の鼻」よりもっと嫌悪すべき状態です。
私はこれが嫌いで、極力、使わせない方針でした。
そして、これが、ほとんどの出店者の猛反発を食らった原因です。

何故嫌いか?
自分の商品が、誰よりも目立つように、高く吊るしたがるのです。
洗濯ものじゃあるまいし。
しかも洗濯ばさみで!!

会場運営の責任者として、これはかなり恐ろしい光景です。

作品は、一生懸命作るのに、売り場という「晴舞台」をなぜ台無しにしてしまうのか、理解できませんでした。

このトラブルが元で、感情的になった数人の作家たちは連名で、百貨店に弊社と私を告発しました。

3回目の告発状が届いたとき、私はまた店長室に呼ばれました。
「なんだ、また君か」

届いた告発状を見せられて、私は頭にきましたね。
私も弁護士を立てて争う云々、興奮して叫んだかもしれません。

でも、次の一言でこの人のため、この会社のために一生懸命働こうと決心しました。
「ここは(弊社のこと)いわば身内のようなものだ。これ以上攻撃するなら、うち(百貨店)を攻撃しているのと同じだから、今後はうちの弁護士が対応すると伝えてくれ」
秘書室長にこう指示したのです。

確かに私にも行き過ぎた点はあったかもしれませんが、1対200。
強くなければ、仕事は守ってゆけない!!
信念を曲げたら負けなのです!!

「私は客よ!」・・・これでは手も足も出ない

この頃、大宮店の販売推進部よりご紹介を受けて、そごう八王子店の手作り催事を引き継ぐことになりました。

八王子店と大宮店の催事場の規模は、あまり変わらないのに、手作り展の売り上げに限って言えばかなりの開きがあったからです。
その原因が、直営と代理運営の差という結論に達したからだと思います

公募による、手作り展の参加者は、基本地元の人です。
これはまた、百貨店の重要なお客様でもあります。

百貨店の担当者は、取引業者と客が同一の場合、どちらを優先させるのでしょうか。

イベントという、かぎられた条件の中では、取引業者として、扱わざるを得ないのですが、これは結構難しい問題です。
作品のランク付けもやむをえませんが、これは客のランク付けに繋がってしまします。

弊社が運営を代行することになって、出展者は取引業者になり、出品する作品の良しあしによって、おかれた立場がはっきりしてしまいました。
そして、これは、百貨店の客である出展者の皆さんの自尊心を、大いに傷つけることになりました。

つまり、今まで百貨店は取引業者としてみるよりも、客として、皆の言い分を聞いてしまっていたのでしょうが、無理からぬことだと思います。

弊社が八王子店の手作りイベントを、販売推進部からバトンタッチされたのは、31回目からでした。

それまでの十数年余、かなり気ままに活動できたであろう出展者にとって、今までとはまるで違う運営の仕方に対し、不平不満、反発は半端じゃありませんでした。

特に百貨店の上位顧客の反発は厳しいものでした。
100名以上の作家に、私の一挙手一投足を見張られているような気がしていました。

自分の作品を、数人の外商員に搬入させる強者がいるかと思えば、場所が気に入らないから帰ると言い出したり、毎回チラシに作品が乗るのに、今回は何故乗らないのか、と詰め寄られたり、大宮店よりはるかに手ごわい集団でした。

私と手作り展に参加される皆さまとは仕事の内容は違います。
けれど、一から始まり、最後まで見届けることができるのですから、辛さはありこそすれ、やりがいもひとしおではないでしょうか。

当時を振り返ると、主婦である皆様の損得勘定(失礼)との闘いの日々でした。
仕事として稼ぐ私と、遊びの延長にあった出展者との「稼ぐ」には大きな違いがあり、折り合えるものではなかったと思います。

ハンドメイドが趣味の延長上にある限り、プロ意識を持つ方は育たないようにおもいます。
趣味で始まったこの仕事が、大きく育つことを期待していた私でしたが、この頃には途方もない重さにあきらめかけていました。
残念ですが、趣味は、趣味でしかない限界をかんじていました。

ハンドメイド事業の主役は作家の皆さまです。これからは、作ること、売ること、社会に還元すること、企業人として活躍する方が一人でも増えれば素敵です。

多摩そごう出店から

平成1年にそごう多摩店に出店。同時に手作り展の運営も請け負うことになりました。

これをきっかけに、会社も九段から現在の多摩市に転居しました。
会社は若干の女性社員と、3店舗の販売に従事する多数のパート達、各店舗に配属されたパッチワークの講師たちです。この頃従業員は総勢30余名でした。

店舗の運営はもちろん、手作り展の開拓もこの頃から急激に広げてゆきました。
半面、スポンサーへの営業ができなくなってゆきます。

そごう百貨店 心斎橋本店・神戸店・西神店・広島店・横浜店・大宮店・川口店・千葉店・八王子店・多摩店
京王百貨店 桜ケ丘店・新宿店
まるひろ百貨店 本店・南浦和店・入間店・上尾店・
高島屋百貨店 日本橋店・大宮店・柏店・立川店・二子玉川店・高崎店・京都店
西部百貨店 東戸塚店・船橋店・大津店・岡崎店
ヤマトヤシキ百貨店 大津店
手掛けた会場です。

自宅の台所のテーブルで明け方2時、3時まで仕事をすることも多く、夜中に起きてきた父は「銭とる仕事は死ぬ病。早死にするぞ・・・」が口癖でした。

しかし結果が出る。売り上げも伸びる。それが何よりも面白く、仕事の原動力でした。
早死にすることもなく、今も仕事ができることに感謝しています。ありがたいことです。

千葉そごうの手作り展も運営代行することになりますが、悩みは八王子そごうと変わりはありませんでした。

酒とツマミ

大変だ―! 大変だ―!
と騒いでいるようですが、楽しいこともたくさんありました。
イベントの前日、準備は百貨店の閉店後からが原則でしたので、基本は深夜です。
様々な事情で、時間通りに終わることはまずありません。
この頃弊社には男性社員はおりません。
私と優秀な女子社員1名が終電を気にしながら作業し、翌日は朝8時前には入店していなければなりません。

往復の時間を見ると、寝る間もないほどです。

売り上げもよく、経費も十分あることから宿泊し、体をやすめることにしました。
大宮駅近くに、大きな立派なホテルがあり、そこに泊まることにしていたのですが、そのうち百貨店の社員も宿泊することになりました。もちろん経費は弊社持ちです(笑)

準備作業が一息つき、ホテルに帰るころはたいてい12時を過ぎていました。
それから、決まって新入社員の部屋で飲み会が始まるのです。
5~6人があの狭い部屋で明け方まで騒いでいたら、酒やツマミの匂いが充満して仮眠もできないのではないかと心配しながら、私も学生時代のような、わいわいがやがやとした時間を楽しんでいました。

仕事のことだけでなく、つまらない悩みなど吹っ飛んでしまうぐらい、エネルギーを蓄えられる時間でした。

代表取締役会長
青木 みな子

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