2本の柱 ②

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2店舗目を出店

昭和62年3月 大宮そごう 美術ホビー課(横浜と同様パッチワークショップ)に出店しました。
横浜店を開業してから、わずか1年半でした。
すでに横浜店の売り上げは安定しておりましたが、短期間での2店舗目の出店は経済的にかなり苦しいものでした。

出来の悪い私が第2店舗を出すなんて、横浜店では、誰も想像していなかったと思います。
しかし、大宮店での12年間が、今日の会社の基礎を作ることになります。
店長はじめ、多くの素晴らしい上司の出会いに感謝し、運の良さを実感します。
そして今でも、変わらず接してくださることを光栄に思っています。

趣味の手作り作品展示・即売会

そごう大宮店のハンドメイドのイベント、(今後は「手作り展」と省略します)を仕切れるか打診があったのは、前社長が亡くなって2カ月後でした。

「もう落ち着いた? できる?」

ここに、店舗とイベント。二つの事業が成立しました。
これほど早く、成立するとは思ってもいませんでした。

私が社長になった時、父は「四つ足門」の話をしてくれました。
柱一本では屋根を支えるどころか、立っていることさえ難しい。
二本の柱なら何とか支えられるが、壁に寄りかかっていないと、安心できない。
独立した門として一番安定性があるのは四本柱だと。
要はひとつの事業に頼るのではなく、仕事の柱を複数建てなさい。と言うことだったのでしょう。

挑戦・大規模手作り展

「手しごと展」・「クラフト展」・「趣味の手作り展」・「私のアトリエ」・・等々
当時、多くの百貨店が様々なネーミングで、手作り展を運営していました。

大宮そごうの手作り展のネーミングは「趣味の作品展示・即売会」でした。
この地区では最も遅いスタートです。
公募で集まったのは、主に埼玉県下の主婦が中心でした。

ここで経験したすべてが、弊社のノウハウとして、今日まで引き継がれています。
小さなイベントは、新宿のマイシティなどで経験していましたが、150坪を超えるとなると、無鉄砲な私でも緊張しました。

参加者が多くなれば、苦情や不満も比例します。
当時の参加者は、200人を超えていました。

しかし、止むことのない言い分を聞くことで、忍耐力も多少ついたようにも思います。
時間厳守は当然。ルールを守らなければ、だれの協力も得られない、社会の最低ルールも身をもって体験しました。
今では時間にうるさいほうかもしれません。

どんなこともそうでしょうが、全員の要望をすべてかなえてあげることはできません。
「手作り展」は、欲や自尊心が絡むので、割り振られた場所や、出店期間、使用する什器等々、ほとんど気に入らないことばかりです。
解決策はないのです。
いやな表現ですが、「身の程を知る」以外に自らを収める方法など無いのです。

いつまでも同じ不満を口にしている人・・・
たった半歩がどうしても譲れない人・・・
怒りそのもので店頭に立つ人・・・
隣の人とうまく折り合えない人・・・

その不満や怒りは、私に集中します。
怒れる集団は、頭を下げてやり過ごすか、力でなぎ倒すしかありません。

けれど私はこの仕事が嫌いではありません。
出展者にすごく魅力を感じています。
特別な能力がなくても、大きなバックボーンがなくても、金持ちでなくても、モノを作れる人は皆、その先に大きな可能性が開かれていて、うらやましくさえありました。

そもそも物を作れることこそ、特別な才能なのです。(残念ながら、私にはその才能はないようです。)
それに磨きをかけ、夢を膨らませる。すべて自分次第です。

どうせ主婦なのだから、お小遣い稼ぎで十分という考え方もあるでしょう。
けれど、またとない仕事に出会ったのですから、存分に実力を試してみないのはもったいなくないですか?

犬のごとく働け

OL時代、衝撃的な本に出合いました。
高島屋百貨店の副社長になられた、石原一子さんの著作で「紳士のように考え、淑女のように振舞い、犬のごとく働け」

犬のごとく働け・・・その言葉は、どんなに惨めで、つらい仕事でも、やり抜く力になりました。

私は、社長といっても肉体労働者です。
スニーカーを履き、手には軍手、首にはタオル、エプロンつけて、現場ではいつも力仕事をしていました。

「いくら社長といったって、女であんな惨めな仕事はしたくないわね・・・」
誰それが言っていたと、ご注進を受けたこともあります。

女性はお金を稼ぐにあたり、なりふり構わず働くことを、また働く人を軽蔑するところがあるように思います。
どこか、惨めなことと、潜在的に思っているのではないでしょうか。

ですから、なんでも中途半端。
仕事を完成形にできません。

何が大事で、そのためにどうするか。何をなすべきか。
解っている人はあまりいなかったように思います。

だから、自分のために必要な、どんな経費を出すのも惜しむ!!
経費ではなく、投資と考えられない。
そんなことで、その人の先が見えてしまうこともあります。
伸びる人と、止まってしまう人の差は、この辺にもあるのかもしれません。

お金を稼ぐということは、大切な行為だと思います。
それが人に頼らずできるなんて、なんて幸せなことでしょうか。ありがたいことです。
羨ましいことです。

小さくとも起業の入り口に立つことができた皆さまは、後戻りせず、前に進んでもらいたいと思っていました。

自ら作ったものを、自らの手で売ることができる。
私は、皆さまの中から会社をつくり、社会で活躍する人がどんどん出てくるのではないかと思っていました。
皆、欲と道連れのバイタリティがありましたからね(笑)
起業しないまでも、社会の一員として活躍し続けるものと期待しておりました。

自分の商品を説明している時の真剣な顔
売れた時の幸福そうな笑顔
あと一押し! 大きなジェスチャー。
新しい商品を、大切そうに取り出すときの顔
真剣勝負をしている人の顔は素敵でした。

こんな仕事が、その後40年間の、私の人生を決めてしまうことになるとは思ってもいませんでした。

はたして自分に適していたかどうか。
苦労ばかりで、儲からない。
もしかしたら、別の生き方があったかもしれないと、思うこともしばしばありました。
けれど出会った人々との縁で、今日の私と会社があるのは事実です。

自分を俯瞰する

この頃、人生の師と仰ぐ人にも出会いました。
この方は、見事、私の苦悩をずばり指しました。

それまでの私は、どんなに努力しても、スタッフと相いれない苦しさでもがいていました。

彼は、私にこう話したのです
「自分が社長として、こうありたいと努力しているのは分かるが、果たして周りはどう思っているか、どのようにみられているか、その差に気が付かねばならない」
目の覚める言葉でした。

小さな会社の社長は、万能でなければならない。と思いこんでいた私は、初めて自分の周りの景色を見まわすことになりました。

今、私は万能である努力もしません。PCやスマホは社内の誰にもかないません。あてにもされていません。
あまりにも出来が悪く、自分でも困ったなぁ・・・と思うことさえ度々です。

「人生の師」の周りには実に大勢の人が集まっています。また集まります。
このような人間関係を築くためにはどうしたらよいのか、尋ねたことがあります。
「ほんの少しでも良いから、その人の、役に立つことをしてあげなさい」

簡単なことではありません。自分に実力がなければ、何もしてあげることは出来ないのですから。

せめて、嘘をつかないで、誠意をもって接することを心掛けていますが、凡人の私は「好き」「嫌い」が先行してしまう未熟者であります。

仕事の成否の8割は、人間関係で決まるとも言われています。
これまで、私の人生にいろいろなチャンスを与えてくださった方々に感謝しつつ、人生の終盤に入った私は、誰かの、何かの役に立ちたいと努力しています。
遠い道のりです。

代表取締役会長
青木 みな子

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