こうせん塚

10日ぐらい前に、小野路の里山を歩いた記事を書きました。
その折、山中に塚のあったことをお話しましたが、その塚の由来を書いた記事が広報に載っていましたので、引用させていただきました。

『スダジイ(椎の木)の大木にある塚は、「こうせん婆さん」と呼ばれており、小さな石祠
には、「文政10年(1827年)10月  施主 天野勘左衛門 と刻まれています。
昔、麦こがし(こうせん)にむせて死んだ老婆をまつったもので、咳の病が治るように
茶碗や竹筒に茶を入れて奉納し、祈願するようになったそうです。

小野路城址の関門があって「遠せん場」と呼ばれたのが「関の神」「咳の神」と変化したという説や、落城の折、ここで交戦があり、死者を祀つた墳墓が「交戦場」と称せられ、その後「こうせん婆」と変じたとする説もあります。』

確かに、この塚と離れたところに東京都の木の立て札がありました。
だいぶ古いもので読めなかったのですが、この会を主宰する方が調べてくださいました。
さすがです。

今から、約300年も前に祀られた小さな祠です。
歴史はミステリアスで、ぞくぞくしますが、あの折感じた寒気は、何だったのでしょうか。
それにしても、東京都の調査もたいしたものです。

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この記事を書いた人

6月生まれ
そのせいか、寒さより、暑さに強い
限界を超えた体重に苦慮して、昨年、カーブス入会
見た目より、感傷的で繊細(と自分では思っている)

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