町田の里山を歩く

久しぶりに「歩こう会」に参加した。
コロナ禍で窮屈な毎日が続く中、心はずむ一日であった。
発見。
2年前まで通勤で通っていた道路のすぐ奥に、こんな里山が控えていたなんて。

運転中に、チラッと見やるだけの、田んぼのすぐ奥に、こんなにも素敵な里山が隠されていたなんて、今まで想像することさえなかった。
長いこと町田に棲みながら、私はこの土地を知っていない。

あぜ道を歩く。
水せりを摘みながら行く。

桜の古木は、すっかり葉桜に代わっていた。
それにしても、大きく張った、太い枝が半ばで朽ち落ちているのが痛々しくて残念だ。

来年は、満開の花にぜひ会いたいと思う。

道幅は狭く、平らでないが、歩きにくいわけでもない。
しかし、目は地面に釘付けである。

わらびが大きく葉を広げ、来年の楽しみが増えた。
父の庭先で大事にされている二輪草や、一輪草が群生し、持ち帰りたい衝動に駆られる。
群生していると本当に素晴らしい。
こごみ、タラの芽等々、群馬の田舎によく似ていて、父がいたらさぞ喜んだことだろう。

「歩こう会」の参加者は、みな里山をよく知っている。
なかでも、リーダーの博識ぶりには、いつも感服してしまう。
山道を歩きながら、いろいろな事を楽しく話してくれる。

竹林に入ると、すでに大きく成長してしまった竹の根元には、タケノコの皮が付いているが
彼女はこれを集め、乾かして保存するのだそうだ。
そしておこわを包んでせいろで蒸すという。
タケノコの皮なんて、ごみとしか見ていない私とは人生の深みが違うと、いくつも違わない
であろう彼女の後姿を追いながら、私は黙って後に続く。

山中に壊れかけた、小さな祠があった。
昔、戦で死んでいった者たちを、葬った墓だということは何とか読み取れた。
里山とはいえ、こんな山の奥の墓を、いったい誰が見守っていたのだろうか。
薄暗い木の下に眠る死者達が、私が山を下りるまで、どうぞ蘇らないで下さいと本気で祈った。

里山は人間と動物の生活圏を分ける境界線であり、豊かな田畑を育む重要な役割を果たしているのだそうだ。
確かに枯葉は層をなし、どんぐりの実はこぼれたままだ。
シダはこれからどんどん大きくなるであろう。
木漏れ日のあたりには野草が小さな花をつけて群生している。
豊かな土壌を作り出しているのが、こんな静かな里山なのだろう。

暖かい日差し。時おり吹く冷たい北風。
足は少々痛むが、今夜はぐっすり眠れそうだ。

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この記事を書いた人

6月生まれ
そのせいか、寒さより、暑さに強い
限界を超えた体重に苦慮して、昨年、カーブス入会
見た目より、感傷的で繊細(と自分では思っている)

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